続・はぐるま

くるくるまわる、僕のはぐるま…

AC(1)

東京にきて半年を過ぎて、恋人と別れて今思う。
「ここからが、踏ん張りどころ」なのだと。


まず、前にもどこかで私はACっぽいということを話したと思うけど、改めてツイッターで垂れ流した。
けど、加筆する部分もあるので、見直す意味を含めて転載する。
若干ツイッター臭がすることは許していただきたい。


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私は人間関係で親密な関係を作るのがとても苦手だ。

たぶん、普通の人がやるであろう「友達を遊びに誘う」とかができない。するとしたら、本当に稀かよっぽどの理由があるとき。

大学時代だって、ほとんど一人ぼっちで図書館いたり、研究室居たりした。(けれど、困るということはあまり無かった。話す人が居れば「それなり」には話せる)大体、初対面だったりする人が居たりすると、しきりに面白いこと言ったりして「嫌われないように」っていう思いが強いというか、そんなことばっかり考えてしまう。もしくは、いじられキャラとかに徹してしまう。



基本的に人の目を気にしたり、人の考えることをマイナスに捕らえるのが、私である。
だから、面白い方向に持っていこう(ごまかそう)とするのだ。


でもそんななかでも何回か会う人は当然いるわけで、ある程度どんなひとかが分かってくる(≒おそらく自分には害がないと感じた人)と、あまりしゃべらなくなる。つまり、どちらかというと、聞き手にまわる傾向がある。そっちのほうが精神的に楽だから。自分を消耗しなくて済むから。 たぶんあったことがある人であれば、「あまりこいつ、実のある話しないな」って思うはずである。


さらに、そんな人間的に腐った自分でも好意を持ってくれる場合は、(もちろん、「こんな性格だから付き合うのをやめよう」と断りは入れるが、それでも付き合いたいという場合)その人にできるだけ尽くそう、できるだけ優しく受け答えしようという心理が働く。それが恋人優先に考えて応えようとする行動だったり、言動だったりするのがそれだ。たとえば、優しいのを好んでいるのならば優しくしたりなど。その人に全面的に合わせようとする(自分の主体性が無いような、そんな感じ。)....けど、ふとしたときに、突き放される行動や言動をされたとする(本人はそう思っていなくとも)。その場合は、「できるだけ自分を守る行動や言動」にシフトする。そっちのほうが、自分が傷つかなくて済んだり、もう駄目だと思ったほうが自身の精神的被害が最小限で済むから。

もしくは、「できるだけ優しく受け答えしようという心理が働いていること」が苦痛なときは、突き放される言動を見つけてしまう。


そっちのほうが楽だから。傷つかないから。
自分が楽で居られるから。


補足ではあるが、どのくらい相手が自分のことを好きなのかを計ってしまう。それで自分の感性に合わなければそれまで、自分の感性に合致していたならば継続する。愛の度合いを測ろうとする方法である。そんななかで、SNSツイッターを含める「ネット」の存在は大きかった。人と会わずとしてコミュニケーションがとれる。嫌であればそれまでだし、合いそう(≒付き合うことに精神をすり減らさなくて済むよう)な人がいれば、なにげないコミュニケーションを取れる。それがこのような「悲劇」を繰り返してきてしまったのかもしれない。


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まぁこんな感じで。

落ち着いて調べてみると、やっぱりAC(アダルトチルドレン)っぽい。

さらにいうならば、ACが起因でおこる女装であったりするんじゃないかと考える。



では、ACになる「トラウマ」はなんなのか?

おそらくは神経質な母の影響ではないかと思う。これはツイッターに書いたので、割愛する。

(本当は親のせいにはしたくないから、ここで書かないのもある。)



さらにいえば、いつまでもACだからダメだとかいってるのは、もっとたちが悪い。

せめて治る(≒人付き合いに嫌悪感を抱かない)方向性にもってかないといけない。




...これは次回にしましょうか。